MAS闘病記
と、
野口整体的子育て記。
再び
MAS経過記録
マッキューン・オルブライト症候群
McCune-Albright syndrome
最終更新 2017.9.21 9.気づけば1歳に
3.下垂体腫瘍摘出手術前
2015.4.15 N病院
サンドスタチン注射。
初めてのお尻筋肉注射。
…痛い。
太い針だとは言われていたが、刺さった瞬間、本当に、そこそこ太い針なのだと身を持って実感。
体に穴が開きました。
直後にうっすら気持ち悪さ。吐き気。
検査入院の時に、薬剤を血中に入れると、副作用の出るのが早いものは早いと体験していたので
副作用を疑う。。。
看護婦さんが血圧を測ってくれた。
と、その頃には少し吐き気も引いて、
「とても良い血圧です」
とのお言葉。
内科検診前の血圧も108/66だったし、最近調子の良い血圧。
GW明けまでのメルカゾールを受け取り、無事に事務所に帰宅。
お尻注射なので自転車に乗るのも痛いかなと思いつつ、意外と痛みはなく。
むしろ階段を上る時に痛むという不思議な注射跡。
筋肉注射だからかな。自分で見えないだけに、なんとなく居心地の良くない感じ。
2015.5.23
私はまだ死なないらしい。
明日夜から東京。
25日からはT病院入院。
Y先生を信じているけれども
もし万が一手術後に目を覚まさなかった場合に
少しでも世のため人のために役立ちたいと思い、
骨髄ドナーは慢性疾患のため登録不可なので
せめて臓器提供意思表示カードだけでも…と思って2-3日前から探しているのだけれども…
全く見つからない。
昔、あれだけぽこぽこ見かけたのに。
と思ったらスマホからも登録できるみたい。
T病院の病室が決まったら、登録しよう。
2015.5.25 T病院入院
夜に無呼吸症候群の検査
9時に寝て3時に起きる。爆睡。
4時に確認したら、鼻のチューブは取れ、指のセンサーも取れていた。
トイレを疑われたが、トイレどころか3時までぐっすり。3時にも違和感なし。
27日夜にやり直し、良い方の数値を採用とのこと。
治療期間中はピルを飲むことをやめて欲しいとのこと。
退院したら再開しても良いとのこと。
しかし、手術でピル卒業を目指す。
2015.5.26
ピルをやめたら生理が来た。
朝ごはん抜きで血管造影。
手術室にて。
財布を入れたロッカーの鍵を病室に置いていけと言われ…貴重品が不安のため、メガネケースと共に持参。
無理をお願いして、カルテの間にしまってもらうことに。
医者が点滴の針刺すのに2度失敗し、肘で成功。
点滴は生理食塩水。
右足付け根に局所麻酔。
10-15分ほどで感覚なくなる。
”お腹から下がかーっと熱くなりまーす”という声とともに、本当にその部分だけ熱くなった。びっくり。
”顔の右半分があつくなりまーす”という声とともに、文字通り右半分がかーっと熱く。撮影されている。
右を4-5枚撮ったあとは、左。
何故それほどまでにピンポイントで造影剤が回るのだろうか。首まで管が入っているのかな。
と思うと涙が止まらなくなった。声を出さずに泣く患者。めそめそ。
8:45入室で10:30に出てストレッチャーで戻り…
11時に戻ったので、そこから4時間安静。
次に造影剤MRIが入ったとのことで、お昼を昼時間に食べねばならないとのこと。
介助を受けたくなく、自分で食べたかったので、体を少し起こして自力で食べる。
そして、寝る。寝ると尿意も忘れる。トイレに行けず、便器を持ってきてベッドで用を足すとのことなので、尿意を感じないことが一番。
それにしても同じ姿勢で寝続けるのは、腰が痛し。床ずれする気持ちも分かる。
15時になり解禁されたら途端にMRI。
腰が未だ痛し。
その後には耳鼻科外来。
終わったら貴重品について婦長さんに呼ばれ…
以前看護婦が鍵を預かった際に盗難があり、それ以降病院では預かれなくなった。しかし、手術室に鍵の持ち込みは不可。
どうするのがベストか?
相談した結果、トランクに入れて、自転車用のチェーンなどでトランクをベッドに繋ぐことになった。
6/1の当日だけでなく、5/29の局所麻酔時も。
文房具屋さんやダイソーなどの地図・営業時間を調べて印刷してくれた婦長さんに感謝。
「患者さんがご不便なのは承知しておりますので…もし外出許可が下りなくて買いに行けなかったら、私買いに行きますので」とまで言って下さった。頭が下がる。
2015.5.27
29日血管詰めの説明をS先生から受ける。
骨(骨異形成)には血管が集まっており、骨を削る手術のため、血管からちょこちょこと出血すると止血が大変。なので、鼻奥の骨の血管を詰めて止めてしまう作戦。
エンボスフィアという、子宮筋腫でも使われるようなプラスチック製のツブツブを詰めて、
動脈瘤治療でよく使われる、プラチナ製のコイルで蓋をする。
エンボスフィアもコイルも、術後も取り除かず、一生体内に残る。
どちらも他治療ではよく使われるが、下垂体腫瘍の手術の前処理としては稀(通常下垂体腫瘍のために骨を削る必要がないため)
一生サンドスタチン注+内服薬メルカゾールを飲むか
一生体内に異物を残すかの選択。
八方塞がり。
しかし、一生薬を打ち続けるのも嫌なので、サイボーグを選ぶ。
心臓エコーは滞りなく終了。
個人的な不安解消のために依頼した聴力検査は、先生のオペが終わらず、また明日28日に受けることに。
外出時に赤坂のドンキホーテまでお散歩。無事に、鍵式でないナンバーロック式の自転車用チェーンをGET。
2015.5.28
9:15自己血採血
5分程度で400ml抜いて
10分程度で生食を入れた。
9:45には終了。
抜くときは気分も変わらず、
入れるときは異物混入感が嫌だったが、そこまで気分も悪くならず…
名古屋に戻ってからも献血行こう。
聴力検査は、右耳の一部高音はたまに聞こえにくかったが、医師より異常なしとのこと。
2015.5.5.29
朝食抜き
鼻奥の骨異形成の血管詰めとコイルで蓋。
5/26と同じように、左手肘に点滴生食
右足付け根から太いカテーテルを入れて、三段階で細いカテーテルを脳へ。
26日より脳に近いところに入れた。
造影剤がぷしゅっと出るのが、骨伝導で聞こえる。
頭が熱くなる。
コイル?エンボスフィア?を入れたのも金属音がして聞こえた。
チリチリ、チリチリ。
その頃まで静かにダダ泣き。
サイボーグになる感じ。
6/1の手術を受けるか、悩んだ。
けど、決めたことはやり通したい。
自分と、彼と、未来の子どものために頑張った。
泣き疲れて、後半はうとうと。
右半分が終わって、左半分が終わり、最後にCT撮影。
自分の頭に埋め込まれたものを見たくて、CTを見せてもらいたいと希望。
S先生は29日午後は出張、30日も不在とのことなので、31日に見せてもらうことに。
術後はICUへ。
まず、トイレに行きたい。
導尿カテーテルは入れたくなかったので希望しなかったが…いざ看護婦さんに便器を持ってきてもらっても、出ない。尿意はあるのに、見られているからか、慣れない体勢だからか…出ない。
結局カテーテルを入れてもらった。入れた瞬間から出たらしい。面白い。
時計が見えず、時間の感覚がない。
11時頃にICUに来て、12時過ぎから飲水OK。
さめざめ泣いてみた。泣いても仕方がない。と分かっていても、涙は止まら無い。
13時半に飲食可能。
昼は念願のカレー。ごはんは、丼ではなく、おにぎり二個を握ってくれていた。感謝。
美味しく頂き、完食。
介助されては、食べたくない。自分の手で食べたい。
自分の手で食べることが、私のアイデンティティーのよう。
自分の手で食べられなくなったら、終わり。
お腹いっぱいだけども、食べたらうとうと。
寝て治す。
ICUは色んな機材があり、色んな音がしていたが、意外と寝れる自分に驚き。
頭痛はしたりしなかったり。
検査入院の時に同室だった、Kさんがお見舞いに来てくれた。
沢山のお土産、GMTや雑貨。感謝。
彼女の周りのこと、私の周りのことなどを話していたらあっという間に時間が過ぎてしまった。忙しいのに、来てくれてありがとう。
その後に母が来てくれた。フレッシュな甘夏のジュースをありがとう。
麻酔科の女医さんや、オペ室の看護師さんから説明。麻酔科の女医さんは、別のオペ中とのこと。大変。
16時半からベッド直角OK。右足曲げてもOK。
26日のような腰痛は意外となかった。快適。
体温や血圧を測られたり、生食の点滴をしているうちに、早くも18時過ぎの夕飯。
動いていないのでお腹は空いていないが、おかず全て、おにぎり二口を食べた。
おにぎりと、飲むヨーグルトは翌日のおやつに。
お腹いっぱいすぎて気持ち悪いが、角度30度のベッドでうとうと。
あっという間に21時になり、就寝。
1時や3時?5時?など、点滴などを見に来てくれた時に目が覚めても、意外とぐっすり眠れた。神経が太くなったらしい。
2015.5.30
ICUで起床。朝5時に起き、お腹が空いたので、昨夜の残りのおにぎり1/2個を食べる。
また少し泣いた。そうしたら看護婦さんが点滴の様子を見に来てくれたので、慌てて泣き止む。涙が残る顔を見て、「眠そうな顔」と優しく微笑んだ。
夜中からずっと生理食塩水入れっぱなし。
右足付け根の可能予防ということで、抗生剤100mlを点滴で打たれる。落ちが悪いということで、ポンプで入れた。
看護婦さんが体を温かいタオルで拭いてくれ、術着から自分のパジャマへお着替え。
導尿カテーテルも抜け、少し普通の人へ近づく。
本を読んで朝ごはんまでの時間をつぶす。暇なり。
この日の朝ごはんはおにぎり形式ではなく、いつもの丼ごはん。昨夜の残りのおにぎり1個+温かい今朝のごはんを少し。
残りはおにぎりにしてお昼用。
10時頃に父来院。
10時半に車椅子にて7階病棟へ戻る。
足の付け根の傷口のために、この日1日は車椅子移動とのこと。あまり出来ない体験ではあるが、ちょっとしたお手洗いも洗面もナースコールを鳴らさなければならないので、不便かつ申し訳ない。
病室にて父と少し話す。新幹線でお腹を壊したらしい。
お昼ごはん、T病院の周りにたくさん飲食店があると思って伝えていたが、官庁街のために土日休み。結局15分歩き回って見つからず、病院の地下で食べたらしい。すまぬ。
12時半になってお昼ごはん。
13時半頃に母来院。フルーツとヨーグルトの差し入れ。感謝。
14時過ぎにY先生に呼ばれ、ナースステーション横の個室で説明タイム。我が一家で聞く。
母の最初の質問「腫瘍は一つですか?」で、Y先生1ポイントダメージ。
基本的にはすでに聞いていた話。
Y先生「ここまで骨化しているのに、顔の変形が出ていないのは珍しい。他の患者さんで、外見で骨が歪んでいる人もいる」
父「鼻の奥の骨は、まだ成長していますか?」
Y先生「していると思います。しかし、半年や一年で元どおり空洞が埋まるわけではないし、埋まったとしても、例えば目が見えない、顔の骨格がおかしいなど、異常が出なければ問題ない」
父「今回の手術で、途中で引き返すという選択肢はありますか?」
Y先生「ある。削ってみて、例えば2-3時間でほんの少ししか骨が削れない場合、途中でやめることもあり得る」
15時前に説明終了。
母の存在はありがたいが、やはり私も疲れるので、説明後に二人にはホテルへお帰り頂いた。
頭痛はしたりしなかったり。けだるさ?はあるようなないような。
調子が良くない時は、うとうとするに限る。寝て治す。
17時過ぎに地震。小笠原諸島が震源らしい。揺れる関東。
両親の無事を確認して、就寝。
2015.5.31
平和な1日。
母は5/28から来てくれている。