MAS闘病記
と、
野口整体的子育て記。
再び
MAS経過記録
マッキューン・オルブライト症候群
McCune-Albright syndrome
最終更新 2017.9.21 9.気づけば1歳に
2.23歳頃に再び異変〜検査入院まで
2012.
大学を卒業して、地元の会社さんに拾って頂いて...働いていたわけですが、ストレスからか、マッキューン・オルブライト症候群の症状(プロラクチンの上昇による月経不順)として現れたのか、未だに原因不明ですが...
それまで不順という文字が無縁だった月経が、来なくなりました。
もう一大事です。
薬は飲みたくないし、いつか来るだろうと放置しておくこと数ヶ月...
流石にまずいということで、婦人科にピルを貰いにいきました。
ピルを飲んだら、生理、きました。
とりあえず、ほっとひと安心。
けれども、やっぱり薬は嫌で
かといって飲まなくなると来なくなり...
でも、女性として健康ではないという状態...
ピルを飲んだり飲まなかったりしていました。
やっぱり薬は嫌だし、食べるもので何とかできないかと思い、会社を辞めて、栄養士の専門学校に入りました。
2013.8
食の勉強もしているし、食といえばフランス、パリだろうと、旅行でパリに行きました。
パリで、現地の料理学校の1day教室に参加しました。
そこで、お母さんが女医さん、お嬢さんがその学校入学希望、という母娘に出会いました。
ふっと、お手洗いでお母さんと一緒になった時のことです。
"失礼ですが...甲状腺の病気ではありませんか?"
と聞かれました。
何を仰っているんだろう、この方は。
そう思いました。
喉が腫れている、と仰ったのです。
え?
と思って鏡を見てみると、ぽっこり腫れているではありませんか。
今まで気づかなかったんです。
同居している両親からも、一度も指摘されたことがなかったのです。
毎日見ているからこその"慣れ"でしょうか。
パッと見て分かるくらい喉が腫れていたのに、自分や家族は気づいていなかったのです。
(この話を彼にすると、彼は"1年前から指摘していた"と言うのですが...^^;)
帰国して、さあ大変。
食べ物云々の話のレベルではなくなりました。
私の病気の一連の資料は、C病院にあります。
再びC病院に行くきっかけになった出来事でした。
2013.10
年齢的に小児科から内科へ成長しました。
当時の小児科の先生から、内科の先生へバトンタッチ。
何はともあれ、血液検査をとのことで、採血されて、結果が出た頃に行ってみると。
・プロラクチン(授乳ホルモン)
・成長ホルモン
・甲状腺ホルモン
これらが異常に高いとのことでした。
・プロラクチン(授乳ホルモン)→体が妊娠している状態→生理が止まる
・成長ホルモン→血糖値などが高くなりやすい
・甲状腺ホルモン→体が常に代謝している状態(疲れやすくなる。食べても太らない。この当時、あばら骨が触れるくらいでした)
その時実感していた症状の説明がつけられました。
(それらの数値が高い原因について説明ができないのは、西洋医学だなと感じました)
これらの数値を何とか下げないとやばいぞ、とのことでした
幼い頃は"性早熟"という小児慢性疾患?だったので、治療費は大分国のお世話になりました。
今回の治療でも治療費が大変なことになるということで、特定疾患を取ることになりました。
"本来は泊まって(入院して)受ける検査なんだけど..."
と先生に言われながら、その時通っていた専門学校があったために、通院で受けた各種検査。
役所に書類を提出しにいったりして、無事に"先端巨大症"の特定疾患が取れました。
頭の中の下垂体腫瘍についても、この頃に分かった...ものだったように思います。
下垂体という、頭の中心部にある器官から、成長ホルモンが異常に分泌されている、とのことでした。
なんとかしないとやばいぞと。
なんとかするには、サンドスタチン注という注射か、手術をするしかない、とのことでした。
通常は手術をして腫瘍を取ってしまうのが主流だとのことでしたが、私の場合は骨異形成も併発しており、つまりは頭の中が骨だらけ。手術をしようにも、手術をするルートがない、とのことでした。
でも、注射は嫌。
学校があったこともあり、特に治療を進めるでもなく、定期的(冬休み、春休み、夏休み)に血液検査を受けるなどの経過観察止まりでした。
2014.4
人事異動で、C病院の主治医がO先生に代わりました。
2014.8
その間もピルは飲み続けており、何だかんだで1年間飲み続けたでしょうか。
でも、やっぱりピルは飲みたくなかったので、
"薬を使わずにがんの患者さんを治した"という先生がいると聞くと大阪まで受けにいったりとか、
お鍋で煎じて飲む漢方の生薬を処方してもらうなど、
なんとか薬以外の道はないかと模索していました。
2015.3
無事に専門学校を卒業し、いよいよ治療に取り掛かるか...となりました。
その頃彼が、"T病院のY先生が、下垂体腫瘍の手術では日本で一番腕が良い"という情報を教えてくれて...
C病院O先生に、T病院Y先生への紹介状を書いてもらいました。
セカンドオピニオンという形でT病院を受診しに東京へ行きました。
待つこと1時間超。
やっと診てもらったら、その日のうちに外来受診となり、3月末から検査入院となりました。
2015.3.30-4.2 T病院 検査入院
週末には帰りたい、というわがままを言い、月曜から金曜日までのコンパクト検査入院としてもらいました。
よって、毎日何かしらの負荷試験。
"だってここまで骨が詰まってるんだもん。手術なんて無理だよ"
とY先生から言われていました。
一生注射を打ち続けるか、
手術を受けるか。
どちらも嫌だけど、一生何かに依存するのは嫌だ。
そう思った私は、Y先生に手術をしてもらうようお願いし続けました。
最終日にはY先生から
"どうしてもサンドスタチンが嫌なら...手術、やってみるか"
と言ってもらえました。
無理を聞いてくれた先生に感謝。
甲状腺の機能を抑える薬、メルカゾールを飲むように言われたのもこの時から。
甲状腺機能亢進のため手術中に多量に出血しても困るからと、甲状腺ホルモンのコントロールのために一日1錠。
終わりが見えている薬は、大人しく飲む患者。
2015.4
名古屋のC病院に帰ると、また先生が変わるとのこと。
同じ先生に診てもらうために、O先生のいるN病院へお引越し。